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頑張ってきてよかった【仁木 悠真】

自分は地元大阪を離れ秀岳館に入学しました。

はじめての寮生活は、不安しかなく知り合いが誰1人いない状態からスタートしました。
サッカーでは、1年生のはじめは1番下のカテゴリーでプレーをし、はじめての合宿にも選ばれませんでした。半年が経ち徐々に学年の試合に出れるようになりスタメンを取ることができました。

2年になり自分はTOPチームにあがりたいなと思わず、上がりたくないと思っていました。走りなどがあっても妥協をし学年のリーグ戦スタメンフル出場ができればいいと思っていました。セカンドにあげられても自ら落ちたり、コーチが自分を推薦してるにも関わらず自分は全く頑張ろうとしませんでした。

この時自分は絶対にTOPチームではやりたくないと思っていたのですが、3年生になり新人戦メンバーに選ばれました。新人戦期間前には、やった事のないサイドバックなどをやらされ、怒鳴られてばかりで試合中言われている事を無視したりしていました。そこでさらにやめたいと思いましたが正月コロナの影響で帰省する事が困難だったため寮に残りました。そこでもTOPチームが嫌で、わざと朝寝坊していたりしていました。

新人戦では、メンバーに入ったものの出場時間は20分程度でした。準決勝まで勝ち進み大津戦はじめてスタメンとして出ることができました。そこで逆転勝ちを許し準決勝敗退で終わりました。

はじめてスタメンフル出場をし、逆転負けをしてとても悔しい思いをしました。総体、選手権では決勝まで駒を進めてリベンジをしたいという思いになりました。

そこから戦術が変わり、はじめてのクラウン(センターバック)をしました。よーすけと組む事になり2人で不安を抱えていました。ミーティング、練習を繰り返していくうちに戦術を理解しチームとしてのできがあがっていきました。

総体では決勝まで昇ることができましたが、思い通りのプレーができず敗退しました。選手権では負けたくないと思い必死に練習、ミーティングを繰り返しリベンジマッチに挑みました。準々決勝から右の内転筋に違和感がありましたが気にせずプレーしていました。

準決勝では、アシストをすることができましたが終わった後に痛みがひどく病院に行ったところ肉離れと言われました。
準決勝から決勝の間練習参加せず怪我を治す事に専念しましたが間に合いませんでした、テーピングを巻いて出場させていただきましたが痛みに耐えられずキックの精度、プレーの質がものすごく下がりました。ファールを受けて痛みがあるところをまた痛めましたが監督が最後まで出場させてくれました。

選手権も大津に敗退しリベンジとはなりませんでしたが今思うと頑張ってきて良かったなと本当に思いました。大学でもサッカーを続けるので今まで経験した事を活かして頑張っていきたいと思います。

(仁木 悠真)

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